アナタは敏腕
前回の更新からたくさんの時間が経ちました。その間といえば生活一般に於いては落ち込むことばかりで、特にここで行っているような文芸については自らの努力の足り無さなどについてがっかりすること甚だしく、サイト自体をもう畳んでしまおうと半ば強迫的に思っておりました。しかし久しぶりにアクセス解析を見たところ、このようなサイトにも貴重な時間を割き来訪してくださる方々がいるようで、それも思いの外多く、それぞれの閲覧者さまがどんなお気持ちでご覧になっているのかはさておき、私としてはやる気が出たわけです。まあそれで歌が詠めるかというと、難しいんですが。一年に少しずつでもいいから更新して何とか形だけでも保ててゆければ、と自らにとって甘いことを考えました。それでもいいかなと思いひとまずそういう方向で歩き出します。
久方ぶりの更新はまさかの俳句です。まさか。タイトルは「海かしら」、もう9月になったというのに夏の情景。早いものですね。もう年が暮れてしまいそう。それから、作品のページすべての文字サイズを大きくしました。具体的にいうと3pxから5pxへの変更です。年齢のせいか小さい文字が読みにくいです。
久方ぶりの更新はまさかの俳句です。まさか。タイトルは「海かしら」、もう9月になったというのに夏の情景。早いものですね。もう年が暮れてしまいそう。それから、作品のページすべての文字サイズを大きくしました。具体的にいうと3pxから5pxへの変更です。年齢のせいか小さい文字が読みにくいです。
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ひたすらファンシー
啓蟄です。私の住んでいるところも暖かく過ごしやすくなってきました。
更新いたしました。前回から少し期間が空いてしまって、反省しています。月に一回は更新しなければと思い励んでいて、暇な時間を見つけてはメモ帳とボールペンと手に取りうんうん唸っているのですが、私の中の能力的なものはいったい枯渇したのでしょうか。参りました。
「空想的少女」は、空想が好きで自分でもウソかホントか分からなくなっている少女。幼女かもしれません。ちょっとませているような、そんな子。誰かに話しかけているような口調です。
更新いたしました。前回から少し期間が空いてしまって、反省しています。月に一回は更新しなければと思い励んでいて、暇な時間を見つけてはメモ帳とボールペンと手に取りうんうん唸っているのですが、私の中の能力的なものはいったい枯渇したのでしょうか。参りました。
「空想的少女」は、空想が好きで自分でもウソかホントか分からなくなっている少女。幼女かもしれません。ちょっとませているような、そんな子。誰かに話しかけているような口調です。
最も自分が疑わしい
更新いたしました。「溢れる」の読み方は【あふ・れる】でも【こぼ・れる】でも。今、止めどなく胸から溢れる気持ちはなんだろう。
谷崎潤一郎の「春琴抄」を読了。句点を最低限に抑え、というかいっそ足りないくらいなのですが意外にも読みやすく驚きました。いわゆる谷崎的な耽美が全体に漂っていて、儚い印象を受けます。うつくしい、というか何というか。その文中の関西訛りがまたしっくりきて不思議な心地です。
谷崎潤一郎の「春琴抄」を読了。句点を最低限に抑え、というかいっそ足りないくらいなのですが意外にも読みやすく驚きました。いわゆる谷崎的な耽美が全体に漂っていて、儚い印象を受けます。うつくしい、というか何というか。その文中の関西訛りがまたしっくりきて不思議な心地です。
さようならはじめまして
この頃は美術館へ行く機会が増えました。良いこと。5日には県立美術館へ「古代エジプト 神秘のミイラ展」を、19日には市立美術館へ「葛飾北斎漫画展」を観に行きました。他にも近隣の市のイベントスペースへ、間接人形教室主催のドールアート展を観に行きまして、なんだか有意義に過ごしております。
とても久しぶりに更新しました。「体育座りはさみしさの指標」です。今までの漠然で抽象的な詠み方をすこし改めて、かなり口語に近く具体的でくだけた表現に努めました。テーマは中学生や高校生あたり(思春期)のふわふわした日常です。自分のことが自分でもよく分からなくて、不安定で詩的で、そんな日常。
とても久しぶりに更新しました。「体育座りはさみしさの指標」です。今までの漠然で抽象的な詠み方をすこし改めて、かなり口語に近く具体的でくだけた表現に努めました。テーマは中学生や高校生あたり(思春期)のふわふわした日常です。自分のことが自分でもよく分からなくて、不安定で詩的で、そんな日常。