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me olvide de toto

芥川龍之介の「侏儒の言葉」を読了。文春文庫です。表紙がかわいらしいのも手に取った理由のひとつではあります。前書きから目次までは原稿用紙ふうに、本文はすべて手書きふうに、それぞれ縁取られているのも大変好い。内容それ自体もなかなか真に迫ることが書いてあり、作家ではない“芥川龍之介”というひとりの人間を強く意識させられました。作家という職業について他人や自己を交えて書いていることも本文中には多いので、簡単には切り離すことのできないのですけれど、しばしば人生論もあるからやはりただ有名作家が書いたエッセイとは言い難い。自己啓発にも似ています。


しかし、著者の見識の深さには改めて驚きました。こんなにも古今東西の書物を吸収して放出できる人とは知らなかったです。これが天才たる所以か。また、私が現在読んでいる夏目漱石と時代を同じくするせいか、小説と随筆の違いこそあれどいくつか共通の事柄が出てくるのは大変に興味深いことです。当時らしい言い回しや風俗・事件など、とくに例をあげれば「タカジアスターゼ」もそうです。こういった気付きが読書をたのしくさせますね。それはともかく、読むと頭が冴える良い本ですのでオススメです。
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さっぱり考えてみて

J・D・サリンジャーの「九つの物語」(集英社文庫、中川敏訳)を読み終えました。サリンジャーはこれが初めてです。4月に読んだ森博嗣の「スカイ・クロラ」にて、プロローグの前と各章のはじめに野崎孝訳の「ナイン・ストーリーズ」の印象的な場面が使われていました。これを今回の読書のきっかけとするならばやはり野崎孝訳のものを読むべきでしたが、恋人の本棚にあったのは中川敏訳でした。しかし同じ文章を読むかぎり大きな違いはないようなので、最後までとくに気にしませんでした。

九つの短編すべてが陽気な難解さを持っていて、読み進めるのに苦労しました。原語で読めばもっと面白いに違いありません。これらのなかでも読み進めやすく内容も好きなのは「笑い男」と「エズメのために――愛を惨めさをこめて」、そして「テディー」です。

狭い水槽の中を真四角に泳いだ

森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」を読み終えました。旅行先で案外暇を持て余すときがあったため、それ用にと購入したものです。この本を選んだのは正解でした。自伝的小説ということからまるで現実と虚のあいだをさまようような話で、私としては信じたい部分とそうでない部分とがそれぞれあります。しかし、この本のすべてをフィクションだと受け取ったとしても、なにか一つだけ真実だったとしても、なかなかドラマティックなストーリーです。

主に語られるのは、某国立大学の理工学部に在籍する主人公が卒業論文に取り掛かる頃から修士課程を修める頃までで、そこで出会い影響を受けることになる喜嶋先生や、その他の人々との思い出の日々です。主人公を取り巻く人間関係も、当時のその分野における科学技術についての描写も読んでいて面白い。私自身が国立大学の理工学部における研究などという高度な学問とは無縁であるが故に、とくにこれらに関する記述が大変興味深く感ぜられました。天才という部類に入るだろう主人公のちょっとした思考や行動すら、凡人の私に驚きを与えてくれます。学歴や才能にただならぬコンプレックスを抱える私は、こういった本を読むことでなんとか天才と呼ばれる人々との違いを知ろうとする。あこがれと同時に、自分自身への遣る瀬無さをつよく感じます。

何ひとつ変わってはならないのさ

大阪に旅行した折、大阪駅近辺のジュンク堂で「手紙魔まみ、わたしたちの引越し」を手に入れることができました。たしかamazonなども購入は可能であったはずですが、できれば書店で購入したい! 然しながら最寄のジュンク堂では販売していない! という状況にあって、折しも大阪と京都へ行かねばならない事情があったというのは幸運なことです。

このすばらしいアンソロジーに対する感想は多く持っているけれど、まみの前ではすべて意味を持たないような気がするから口をつぐみます。感動的なのは、twitterというインターネット時代の便利なアプリケーションによって、現在のまみを知ることができること。本当は知らなくてもいいし、もしかすると知らないほうがいいのかもしれない。でも、フィクションであってほしいまみとリアルのまみが混濁する世界は、私にとって歓迎すべきものなのです。

いったい私はあの檸檬が好きだ

梶井基次郎の「檸檬」を読了。角川文庫と人気てぬぐい店「かまわぬ」とのコラボだという、檸檬の模様がかわいらしい装丁に惹かれ手にとりました。いつか読みたいと思っていたのも事実で、どの本にも言えることですがこのタイミングで読んだということが面白い。きちんと栄養になっているのを感じます。

氏の短い生涯とその作家生活を代表する短編や小品をまとめた本書ですが、晩年に近づくにつれ、作品のなかの登場人物までまるで梶井本人のように病鬱としてくる様は、どこか憐れでありながらも清々しい。肺病にともなう病鬱こそがすべての作品に流れる重厚な空気を形作っているため、氏も自ら言っているように、健康な肉体をもってしては書くことのできない極致でありますれば、ずっと長生きして多くの作品を世に送り出してほしかったなどとは言えません。しかし現代では死に至ることなど稀な病気で、このすばらしい才能が消えてしまったというのは無念です。「檸檬」と「Kの昇天」、それから「桜の樹の下には」がとくに幻想的で好みでした。巻末にある、萩原朔太郎・三好達治の両氏による「同時代人の回想」もおもしろい。私はこのごろ、近代作家たちの交流事情に興味津津のようです。