Who were we?
映画館にて、レオス・カラックス監督の「ホーリー・モーターズ」を観てまいりました。監督にとってはじつに13年ぶりの長編映画ということですが、残念ながら私は他の作品を存じませんので、当映画の紹介における「この監督にしか撮ることのできない映像」などの言葉の真意はわかりません。しかし、これは他の映画では味わえないストーリーと映像表現であるということは理解できます。まるで夢を見ているように目まぐるしく、ときにウットリし、ときにハラハラする展開の数々。登場人物の素顔や関係性はまるで靄のなかです。こういう不思議な映画は嫌いじゃありません。
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愛と音を はき違える
先日の更新の折、作品ページ内のフォントに関する様々をほんのちょっと変更しました。主にカラーやサイズ等々です。ついでに、HTMLタグを改変し、CSSを使用しました。これもまたすっきりさせることに成功し、同時にちいさい達成感を味わうことができたのでうれしいです。自分では見やすくなったのですが、万が一、レイアウトが崩れている箇所や見づらいところがありましたらご一報くださいませ。過去の作品もすべて変更済みです。
幸せが両手広げて抱きしめてくれるというのに
更新しました。タイトルは「(常夏の)幸福論」です。常夏っておもしろい単語だなあ、と思いながらせかせかと詠みました。せかせかと詠むのはあまり良いことではありませんが、そうでもしないと年間数回の更新はむずかしいのと、自分が怠けてしまうのとで、そうならざるを得ない状況です。ゆとりが欲しい……。
生活詠にするつもりで始めたのですが、結局のところはいつも通りに落ち着きました。いつも通りというのは、幻想的な風景というか嘘みたいな話というかそういう類。サイトのトップに「創作短歌」と書いているように、今までの作品はすべて創作的な、つまり作り話を詠んでいます。だからいきなり生活詠をするのって難しいことかもしれません。日常を切り取るつもりが、ただの日記になっては困るから。けれども現実を離れすぎて今までみたいに作り話になっても困るのです。私にとって理想型とは、穂村弘氏の詠まれるようなそれらです。
生活詠にするつもりで始めたのですが、結局のところはいつも通りに落ち着きました。いつも通りというのは、幻想的な風景というか嘘みたいな話というかそういう類。サイトのトップに「創作短歌」と書いているように、今までの作品はすべて創作的な、つまり作り話を詠んでいます。だからいきなり生活詠をするのって難しいことかもしれません。日常を切り取るつもりが、ただの日記になっては困るから。けれども現実を離れすぎて今までみたいに作り話になっても困るのです。私にとって理想型とは、穂村弘氏の詠まれるようなそれらです。
恋に落ちる 目印はない
「アンナ・カレーニナ」という映画を観ました。言わずとしれたトルストイの名作です。昨年、「危険なメソッド」を観たときから気になっていたキーラ・ナイトレイという女優さんが主演で、役柄にぴったりの美しさにはため息が漏れました。極寒のロシアで繰り広げられる豪華絢爛で奔放な愛の物語は、まるで舞台やミュージカルのような仕掛けでもって演出されており、その優雅さには素晴らしいの一言です。また、広大な自然とともに描かれる田舎の領主・リョーヴィンの暮らしと慎ましやかな愛は、アンナの不貞の愛が際だつようでした。社交界との対比という意味でも興味深いです。
何も言わず 離れてく
弟の、不要となった荷物のなかから「Webサイト作成術」なる本を勝手にもらってきました。独学でなんとなく覚えた上にコピー&ペーストを多様してきたHTMLとスタイルシートですが、この本を得てさらに理解が深まったと感じます。今までごちゃごちゃと散らかっていたタグを、とりあえずすっきりさせることができ満足しました。身の上の恥ずかしい事柄をまた一つ減らせたのは大きな収穫です。(とても恥ずかしかった)
今のサイトデザインをとくに強く気に入っているわけではないのですが、なぜかちょこちょこ手直しをして使用しております。突貫工事で作成したためにところどころ気に入ってないからこそ、そうするのかもしれません。
今のサイトデザインをとくに強く気に入っているわけではないのですが、なぜかちょこちょこ手直しをして使用しております。突貫工事で作成したためにところどころ気に入ってないからこそ、そうするのかもしれません。