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溢れる手を繋いで

江國香織の「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」を読み終えました。高校生のとき、図書室で借りた「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」をすこししか読まずに返却したことを憶えています。理由は喪失しました。このところ男性作家つづきだったため久しぶりの女性作家、そして久しぶりの恋愛小説です。今回の内容はいわゆる王道の恋愛ではないかもしれませんが、自分が恋をしている気分になるには充分のロマンスぶり。それぞれつながりのある9名の女性とそのパートナーを交えた恋愛模様で、さまざまに切り替わる視点や交錯する感情がおもしろかったです。他人の秘密をのぞきみるような感覚でしょうか。どの登場人物にも共感できて、失望できる。とくに草子と衿には好感が持てました。これはまったくの余談になりますが、登場人物たちのハイソサエティな暮らしぶりに作者の嗜好や生活が垣間見えたのも私としては興味のポイントになり得ます。
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夢も現実も目を閉じれば同じ

ハヤカワ文庫の「ゼロ年代SF傑作選」を読了。いつものことですがハヤカワ文庫はブックカバーに入らない。

SFにはほとんどまったく興味がわかないため、自分から手に取るというのはめずらしいことです。私にとってはじめてのSFは伊藤計劃の「虐殺器官」でした。今回もそうですが恋人の本が自室にありなんとなく読み始めたという具合です。円城塔の「Self-Reference ENGINE」は読みづらくて断念、共著となっている「屍者の帝国」は伊藤計劃の書いた導入部分のみ読みました。そして今回のこの傑作選に収録されているのはその二人とほぼ年代を共にする作家8名による短編です。初出は作品ごとに異なるものの、“ゼロ年代”と銘打つからにはそれ以前の作品などなくすべて2002~2008年ごろ。本書の解説によるところの、SF復興そして豊穣なる実りを迎えた時期であるらしい。普段あまり触れることのないような実験的作品が多く、楽しめました。ほとんどすべての作品が、その著者のべつな作品のスピンオフとでもいうべき短編でしたが本編を知らずともその世界に入っていけると思います。短編だからこそ、SF特有の設定疲れがなかったのかもしれません。

行間泥棒

ちくま日本文学の第9巻を読了しました。この巻は坂口安吾。氏の作品はたぶん初めて読みましたが、読んでいるさなかはなぜだか町田康と同一人物であるような気持ちでいました。語り口が私のなかの町田氏のイメージに近いのかもしれません。それはさておき、「堕落論」および「続堕落論」よりも「日本文化私観」のほうが氏の嗜好がよく表れているようでおもしろかったです。そのほかには「高千穂に冬雨ふれり」と「桜の森の満開の下」が秀逸。ひねくれた少年のような人だと好感を持ちました。先月なかばに新潟を訪れた際の目的地のごく近所に、「安吾 風の館」なる文化施設があり、直筆の原稿等を見ることができるということでわずかに期待をしていたのですが、時間がなくひそかに諦めたということがあったので機会があればぜひ訪ねたいと思っております。それにしてもこの“ちくま日本文学”は、名前と代表作は知っているが読んだことがないという有名作家が揃い踏みで、私には最適。ほかにも読みたい作家がいます。

すくないながらも読んだ本の感想を一冊ずつ、こうやってわざわざ記すのはだれかのためではなく自分のためです。記憶力のわるい私は、どんなに気に入って読んでいた本でも2年以内にはそのストーリーを忘れてしまう。恋人には「憶えるために読むのではない(だから忘れていてもよい)」と言われます。私だって読んだ本の内容を憶えていないことを時間の無駄とは言わないけれど、憶えていないという事実がただかなしい。実際こうして細かに感想を書き、ストーリーにいくら言及しても、何年後かの私にはこれを自らの読書記録として読むことはむずかしいのです。読んだという記憶はあるけれど、どんな話だったかはきっと忘れてしまっている。もしかすると断片的には思い出すかもしれない。思い出せたらいいな、という気持ちで感想を記しています。

花心は満開

ここに記すのが遅くなってしまいましたが、去る3月15日に新潟市内で開催された「第6回空き瓶歌会」に参加させていただきました。このwebサイトでも親交のあった「ポケットに魔法」の七波さんよりお誘いいただきまして参加を決めたのですが、これからの創作へむけて良い影響を与えうる貴重な体験をさせていただいたと思っております。感謝しかありません。歌会のほうはというと(こういった会へ出席すること自体が初めてのため比較対象はありませんが、)和やかな雰囲気ででありながらも参加者それぞれが向上心の高く熱気がある印象を受けました。そのため、歌会のなかでもその後の懇親会のなかでも皆さんの情熱あふれるお話を伺うことができ、まさに身の引き締まる思いでした。私も一層、がんばらないと。新潟市はすこし遠かったものの、往復の運転なども苦にならないくらい楽しかったです。訪れるのはじつに5年ぶりでしたが、これからはもっと頻繁に買い物や行楽などで訪れたいと思います。人も街もよいところです。とくに女性は、色白で美人な方が多くおどろきました。

この記事を書いていて初めて気づいたのですが、サイトのブックマークページではずっと七波さんのHNを改名される前のもので表記してありました。大変失礼をいたしました。

記憶が薄れるのを待っている

更新しました。新作として「生まれては別れにむかうわたしたちのために」、「2014.01-03」へtwitterで2月に詠んだものを収録。「生まれては~」というタイトルは、「クワリフの朝」というお題配布サイトさまからお借りしました。当サイトのブックマークページからはもちろん、作品からもリンクをつなげてあります。

今回はタイトルからもわかる通り‘別れ’や‘失恋’をイメージして詠みました。というのも、今週末に新潟市内で開催される歌会へ参加させていただくにあたって「別」を題とした詠草があり、それの副産物として幾つかの歌ができたからまとめてしまおうという過程から生まれたためです。じつは私もこの春に引っ越しを予定しています。そんな気持ちとリンクして、悩みながらも満足のいくように詠むことができました。私の詠む歌はとにかく破調が多いのですが、先日それを短歌人でない恋人によって指摘されたため、今回はあまり破調にならないよう語呂のよい単語を選んでいます。「(ほとんどすべて破調なら)短歌という形式にする必要あるの」とまで言われましたので反省もあり反発もあり、という感じです。がんばろう。

はやく暖かくなってほしいです。