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すべて、綺麗なイーコールのために

森博嗣の「詩的私的ジャック」を読み終えました。実家の弟が使っていた部屋にあったので勝手に拝借。S&Mシリーズというシリーズものの3作目のようですが、部屋にはこれしかなかったため、とくに気にせず読み始めました。ストーリー内で1作目や2作目の話にちらっと触れるものの、ほとんど差し支えないと思います。最近はめっきり読まなくなりましたが、元来ミステリーが好きなので早いペースで読むことができました。ほかのミステリーと違うのは、やはり氏が専門とする工学の知識をたくみにつかった理知的かつ現実的なトリックでしょう。それがまたきちんとミステリーの枠に収まっているのが氏の書かれるミステリー特有のおもしろさだと思います。

氏の作品を読むのはこれで2冊目です。高校生のときに「どきどきフェノメノン」を読んでいます。しかし内容はきれいに忘失しており残念。あれはミステリーではなかったのかしらん。
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あの頃、あなたを恋していたんだわ、きっと

久生十蘭の「十蘭万華鏡」を読了。河出文庫。読む前に想像していたよりずっと(よい意味で)俗っぽい語り口であったため読みやすかったです。また題材は、世相や大戦、幕末、海外生活、古代史など多岐にわたっており、作者の知識の広さと深さを感じながら読むことができました。とくに興味深かったのは、「花合わせ」と「雲の小径」という十年もの時間的な隔たりを持つ2つの作品内における、ほとんど同一な台詞の出現です。また、「再会」と「川波」では作品自体のシチュエーションも似ているし、やはりそれぞれ同一にちかい台詞と情景が出てきます。これらも雑誌に発表された年でいえば十三年もの隔たりがある。単に気に入ったフレーズだったのか、それともセルフリメイクだろうか。天才的な作家の執筆の痕跡が垣間見えるようで、ぞくぞくしました。

この文庫のおわりにある澁澤瀧彦による「久生十蘭のこと」という覚え書きのなかに、澁澤が晩年の久生に会った折、久生から「東郷? あんなやつにフランス語ができるもんか」と言われたということが書いてあります。私はこの文庫の前に、東郷青児訳のジャン・コクトーを読んだという偶然があったため驚きました。なんておもしろいんだろう。久生十蘭にもぜひ訳していただきたかった。

いのちは無色透明

ジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」を読み終えました。東郷青児、訳。角川文庫のもので、寄藤文平率いる「文平銀座」デザインによる「大人の名作」シリーズです。このブログでも言及した記憶がありますが、このシリーズのデザインはポップなカラーが特徴的で、タイトルによってその配色は異なります。「怖るべき子供たち」はというと、カバー紙は朱に近いはっきりとした赤色、タイトルと著者名はその補色である鮮やかな緑、そして表紙に書かれた本文からの引用は銀色の箔押しと、かなり目にまぶしく躍動感のある配色でありクリスマスを思い起こさせる配色です。クリスマスは本の内容とはいっさい関係ありませんが、それはさておき好みのデザインのため気に入っています。

ストーリーはある意味で単純です。しかし、情景の想像などはこれが詩的な小説であるせいでとても難解でした。またいわゆる‘翻訳された外国文学っぽさ’があり読みづらさは否めません。最近は私的な勉強のなかで法律関係を学んでおりますが、条文や判例などにおける日本語の理解のしづらさは、このなめらかでない翻訳文の読みづらさに似ていると感じます。頭のなかに像を結ばない感覚。もちろん、私の読解力が乏しいせいもあるとは思います。こうやって読書を続けていると、いつか今よりずっとスムーズに読める日が来るのかもしれません。

冷たい水をください

先の週末は全国的に降雪がひどかったですね。私の住んでいる地域はその前週もひどく降ったため、こちらに越してきて4回目の冬にして初めて除雪用のスコップを購入しました。また今回の大雪では、市内のほとんどの交通機関がほぼ終日運休となったせいか、私のはたらく店舗でもいつもよりはやく閉店させるなど異例の対応があり、おおよそ日常らしからぬ印象を受けました。そのなかでも、豪雪地帯ではないとは言えいちおう東北に住んでいるため雪には慣れていて、こういった場合の苦労がすくないのが救いかと思います。被害を受けた方々には一刻もはやい回復を願っています。

と、書くことがないため、今回はめずらしくブログらしい内容になりました。数日前から感受性が死んでいます。

いちばん正しいあたしは何処?

山口果林の「安部公房とわたし」を読了。図書館から借りてあるのを見つけ気になって読み始めたら、フィクションとノンフィクションの狭間のような面白さで、次の日には読み終えていました。内容はもちろん、告白本であるとおりノンフィクションですが私のなかでの“安部公房”という作家は、教科書にも載る有名作家というもはや歴史上の人物とも言える存在なので、人間らしく生きている様子の描かれた本書はある意味でフィクションのようでもあります。以前も書いたように、恋人がいちばん好きな作家として安部公房を挙げているため、この本の存在は発売された時期に話題として耳にしていました。そのとき想像していたより何倍も面白かった。読了後にはなぜか切なくなって、ひたすら涙をこぼしてしまうほどでした。安部公房の娘である安部ねり著「安部公房伝」も気になりますが、こっちを読んでしまったあとでは感情が邪魔をしてなんとなく読みづらそうです。