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触れられない君を

11月中にtwitterでつぶやいた短歌をまとめました。自分好みの短歌を詠めていて、なんとなく調子の良さを感じております。しかしながら、自分にとっての好みは他人にとってのそれと同意ではないから、ここが終着ではもちろん無く、慢心はよくないことです。ステップアップを希望します。今月の「花椿」にあったほむほむの言葉を自らへの鞭として受け止めたい。どこかに所属すればよいのだろうか……。こうやって一年が過ぎてゆきます。
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I FEEL SO BLUE

とうとう今年も、残るところあとひとつきとなりました。私にとって2013年は、資格取得のための勉強に目覚め、それに励んだ一年でした。販売士という資格の3級および2級を受験し、それぞれ合格いたしました。来年は国家試験にチャレンジする予定です。ようやく将来のことを考えはじめた年でもあり、それらが徐々に実を結んでいくのは楽しい。人生においてなにかに挑戦するとき‘遅い’ということは無い、というのを自らをもって証明したいと思っています。短歌の面でも、なにがしかの機会に応募したいと思いつつ逃しているため、果敢に挑みたいですね。目標としてはなるべく今年中。

自分でも知らなかったけれど、私という人間は、有り余るエネルギーを持っているようです。しかし、それを使いこなせるかはまさに私次第です。

果てることない夢

安部公房の「箱男」を読み終えました。新潮文庫。今まで読みにくそうで避けていた作家ですが、この頃は小説のジャンルを問わず読んでいたせいか、この作品のつくりのせいか、すんなりと読むことができました。語り口は一人称で、くだけた調子です。実験的な構造をとっており、視点の入れ替わりだけでなく、まったく関係ないような場面まで語られます。また、ふいに挟まれる、安部公房自身によるモノクロ写真および物語と繋がりのありそうな文章。終わりかたも想像していたものとは違いました。夢か幻を見させられていたような読後感です。

恋人が安部公房を、いちばん好きな作家にあげているので部屋には氏の著作が多くあります。しかし、いちど集めた全集は売却してしまいました。また集めればよい、とのことですが私は寂しい。

思い出そうと歩く

笙野頼子の「幽界森娘異聞」を読了。森茉莉の著作に関しては、高校生のころ、なにかの拍子に読みたくなり図書室で探した記憶があります。でもほとんどまったく見つけることができなくて、エッセイのみを読んだようです。ようです、というのは残念ながら、タイトルはもちろん、肝心の中身すらひとつも憶えていないため。そしてもっと言ってしまえば、それを当時この場所に記しておりました。それはどうしてか憶えていた、不思議。

“最近は森茉莉などを読んでいます。短篇やエッセイなどが多いのですが、どこか三島由紀夫に似た印象を受けます。文体やテーマや、まあ同時代に活躍されていた作家ですから、ありえないこともないのでしょうか。実際、森茉莉のエッセイには三島由紀夫含め、同時代の作家の名前が登場しますしね。……”

以上、抜粋です。あれ、エッセイだけでなく短篇もわずかに読んでいる様子。読んだら思い出すでしょうか。たぶんまだ森茉莉の書く文章は好きだろうから、近いうちに読んでみようと思います。三島由紀夫はもう読めないかもしれない。いまは目下、安部公房を読み進めております。

誤魔化しのない夏

更新しました、「南極にて」です。タイトルは、南極をベースにもうすこしひねりたかったけれど思いつかなかったためにシンプルなところへ落ち着きました。内容はそのまんま南極が舞台です。南極らしい要素を持たせつつもいつものごとく関係のない空想でできています。空想の内容はむかしより現実味を帯びているような気がします。ただきれいなだけではない空想。

先日の更新の際、作品へのリンクを繋ぎ忘れていました。今回の更新とともに繋ぎました。おのれの確認不足によるもので、お恥ずかしい限りです。(誰にも気付かれなくてよかった)